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中村クリニック

中村 正彦 院長

中村 正彦 院長プロフィール

 1966年に東京都港区に生まれる。1991年に日本大学を卒業後、日本大学医学部附属板橋病院綜合臨床研修医となる。日本大学医学部第三外科助手を経て、国立立川病院(現 災害医療センター)、災害医療センターに勤務する。日本通運健康保険組合東京病院、日本大学医学部第三外科を経て、京都大学医学部移植免疫学講座に医員として着任する。日本大学医学部第三外科に帰任後、自治医科大学臓器置換研究部の研究生となる。日本大学医学部第三外科を経て、銚子市立総合病院に外科部長として着任する。日本大学医学部附属病院消化器外科での研究医員を経て、2009年10月に中村クリニックの第4代院長に就任する。

◆ その他経歴

日本外科学会認定医、専門医、日本消化器外科学会専門医など。

 東京都港区六本木は東京を代表する繁華街の一つである。近年、再開発が進み、六本木ヒルズ、防衛庁跡にオープンした東京ミッドタウンなどの商業施設も数多く並んでいる。今月、ご紹介する中村クリニックは東京ミッドタウンから徒歩2分、外苑東通りから少し入った場所にある。中村クリニックの歴史は古く、明治時代に遡るという。中村正彦院長の曽祖父様が開業し、お祖父様に継承された。現在のクリニックは1976年にお父様が継承した際にリニューアルしたものである。お父様は「地域密着」を掲げ、「六本木の赤ひげ先生」として親しまれていたが、2009年に急逝される。そこで中村院長が4代目の院長に就任し、生まれ育った六本木の地に帰ってきた。中村院長の専攻は消化器外科で、内視鏡検査ができる「街のかかりつけ医」として、地域に歓迎されている。
 今月は中村クリニックの中村正彦院長にお話を伺った。


開業に至るまで

病院風景 ◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 父が医師でしたから、父の背中を見て育ち、父から影響を受けたというのが大きいでしょうね。小さい頃は小学校の先生やパイロットにも憧れましたが、周囲にサラリーマンがいなかったので、サラリーマンという選択肢はなかったですね(笑)。私は小学校から学習院で過ごし、医学部希望者は少ない環境だったのですが、高校に入る頃には既に医学部に行くことを決めていました。

◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 ヨット部に入り、クラブ活動に明け暮れる大学時代でした。勉強はあまりせず、試験前に集中して頑張るタイプでしたね(笑)。夏休みも合宿で、ずっと江の島にいました。江の島で活動するヨット部は多く、ほかの大学と合宿時期も重なりますので、ほかの大学の人たちとの横の繋がりもでき、楽しかったですね。

◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 ヨット部での活動のほか、バンドを組んで、ギターを担当していました。ギターは中学生のときから趣味で始め、高校、大学になってからも続けていました。大学時代はライブなどにも参加していましたが、今は全くやっていないですね。

◆ 専門を消化器外科に決められた経緯をお聞かせください。
 漠然と消化器に興味があったんです。しかし、当時の日大では10人の希望者だけを綜合臨床研修医という現在のスーパーローテートのような研修システムがあり、まずはそこで研修しました。その頃から父のクリニックを継承しようという思いが既にありましたので、すんなり消化器内科医としてのスタートを切るよりも、いろいろな科に行っておく方が意味があるだろうと考え、3期生として総合臨床研修医を始めました。内科や外科の各診療科をスーパーローテートしているうちに、外科が面白くなってきていきました。

◆ 日本大学第三外科に入局しようと思われたのはどうしてですか。
 総合臨床研修医の研修中に、外科の面白さが分かってきたからです。内科は診断学で、外科は治療学だと思いました。第三外科は消化器をメインでやっていたので、第三外科を選びました。

◆ 勤務医時代を振り返っていかがですか。
 私は肝臓を専攻しました。きっかけは何となく興味があったからです(笑)。がんの手術が多かったですね。忙しかったですが、好きなことをさせてもらっているわけですから楽しくもありました。関連病院よりも大学病院に長くいたので、チーフまで経験し、学位も取得させていただきました。

◆ 途中で、京都大学にもいらしていますね。
 移植に興味がありましたので、京都大学の移植免疫学講座に行かせていただきました。世界でもトップクラスの研究を行っている最先端の講座でしたので、非常に面白かったですね。チームに入り、手術も担当しました。ここでも忙しかったので、折角の京都滞在なのに、全く観光していないんですよ(笑)。有名な寺院ぐらいは行きましたけど、本当に何も知らないですね。


開業の契機・理由

病院風景 ◆ 開業を決心された理由をお聞かせください。
 将来は父のクリニックを継承しようという考えは常に頭の片隅にあったのです。父も元気で「75歳までは現役でいたい」と言っていましたので、継承するのはまだ先のことだなと思っていました。ところが、2009年の3月、父が「食べ物が詰まる」と言ってきました。これは大変だと思い、すぐに受診させたところ、食道がんが見つかったのです。手術もできず、放射線と抗がん剤治療を行いましたが、9月に69歳で亡くなりました。父の病気が分かった3月から、父のクリニックに出向き、検査の手伝いなどを始めました。亡くなるまでは自分の病院と父のクリニックを往復する日々で、亡くなった直後にクリニックを継承しました。

◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
 教授も事情を分かってくださっていたので、大学を辞めることにはご理解をいただけました。それに、患者さんは父の代からずっと来られている人たちですので、新規開業の方のような苦労はなかったですね。私の場合、苦労したのは開業医として何をしていいのか分からなかったことでしょうか。父の具合が悪くなってから、レセコンやカルテを見るようにはしていましたが、レセプトの請求の仕方など、継承して半年間はてんやわんやの状態でした。ただ、父の代からお世話になっている公認会計士さんがいらっしゃるので、経営面に関しては頻繁に相談に乗っていただきました。

◆ 設計、内装などは変えられたのですか。
 30年前に、父が祖父から継承したときのままなんです。私の継承にあたって、ほかのクリニックに見学に行く余裕もありませんでしたし、私にとってクリニックと言えばここですから、ほかのクリニックの設計などは何も知らないんですよ。患者さんは「落ち着く」とか、「クリニックらしからぬお洒落な感じだ」と言ってくださるのですが、父とはそこまで話していないので、当時の拘りなどは聞いていないですね。

病院風景 ◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 父は循環器が専門だったのですが、私は消化器が専門ですので、継承するときに内視鏡とエコーを新規に導入しました。そのほかは父の代からのものをそのまま使用しています。お蔭様で、検査で来院される患者さんも増えつつあります。

◆ スタッフも変更はなかったのですか。
 もともと看護師さんもおらず、事務や受付業務のスタッフだけですので、特に変更はなかったですね。妻が看護師ですので、生検や内視鏡の手伝いが必要なときには来てもらっています。


クリニックについて

病院風景 ◆ 診療内容をお聞かせください。
 消化器専門を謳っているわけでもなく、強い専門色を出しているわけでもないのですが、「内視鏡のある、街のかかりつけ医」という位置づけでプライマリケアや生活習慣病を中心に診療しています。勤務医時代は外科が専門でしたので、開業前には糖尿病や高血圧などについて、本や講習会で勉強を重ねました。父が病気になってからクリニックを半分、閉めたような格好になり、患者さんの数も減ったのですが、私が継承して3年目ぐらいからまた増えてきましたね。
 健康診断は父の代から行っていますが、今は港区の区民検診がほとんどで、今後は港区にある企業向けの定期検診を増やしていきたいと思っています。
 また、最近は禁煙外来の患者さんが多いですね。月に1、2人ずつ新規の患者さんが来られています。
 もともとの専門は外科ですから、ひょう疽や手を切ったときの小外科的な診療も積極的にやっていきたいですね。処置室はないのですが、診察室は広めですし、ベッド周りのスペースもゆったりと取ってありますので、十分に対応可能です。

◆ 病診連携については、いかがですか。
 父の代から港区三田の東京都済生会中央病院にお世話になっています。患者さんにとって必要な検査や診断などをお願いしています。
 お蔭様で、港区は済生会に関わらず、大病院が多いので、患者さんの選択の幅が広いのがいい点ですね。患者さんが希望される病院を速やかにご紹介しています。私も「病診連携の会」などに積極的に参加し、スムーズに連携できるように努めています。

病院外観◆ 経営理念をお教えください。
 この場所にこだわり、街の開業医に徹することです。父は生前、「赤ひげになりたい」と申していまして、あまり商売っ気がなかったんです。今、思うと、インフルエンザなどの予防接種も安価でしたし、請求の仕方なども甘かった点がありました(笑)。私としては場所が場所ですので、地域密着の姿勢を大事にしています。企業も多いので、会社員の方がお勤めの途中や帰りに気軽にいらっしゃれるようなクリニックにしていきたいですね。
 六本木は町会の組織がしっかりしていて、意外にコミュニティの繋がりのある街なんです。地元の人たちとの地域密着の面白さも感じてきましたし、家族ぐるみで受診してくださる方も増えてきましたので、今後は訪問診療なども視野に入れています。

◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 看護師を置いておらず、事務スタッフだけを採用しています。父の代からいたスタッフなので、特に私から指導をすることはないですね。ただ、私どもでは薬の院内処方を行っていますので、薬の管理に関しては厳しく言っています。院内処方は、最近、珍しくなってきましたし、院外に出すことも検討してはいるのですが、私どもは高齢の患者さんが多いので、患者さんの手間を考えますと、このまま続けてみるつもりです。

◆ 増患対策について、どのようなことをなされていますか。
 ホームページは専門の業者にお願いして、きちんと作っていますが、ほかは何をしていいのか分からないというのが正直なところです(笑)。クリニックの入り口が分かりにくいので、ビルの入り口に2カ所ほど、看板を出しています。
 今後は私どものパンフレットを作り、近隣の企業に配布することを検討しています。


開業に向けてのアドバイス

 開業そのものに関しては、私は親からの継承ですし、アドバイスできる立場ではないので、どんな人が開業医に向いているかというお話をさせていただきます。私は4代目ということもあり、行く行くは開業医になると思っていましたので、勤務医時代も他科との連携を緊密にしたり、専門外のことにも興味を広げるように心がけてきました。専門外の分野の中に開業後に役立つ知識が豊富にありましたし、自分の思考も深まった気がしています。
 一人で開業するとなると、様々な患者さんがいらっしゃいます。「糖尿病は診るけれども、血圧は診ない」とは言っておれませんので、あっちにもこっちにも手を出し、多様なことに興味を持って知識を広げ、対応力を備えていかないといけないでしょう。自分の長所を活かしていても、一つしか診られない人よりは与えられた状況のもとで頑張ることのできる、柔軟な対応力を持ち合わせた人が開業医には向いているのではないでしょうか。


プライベートの過ごし方(開業後)

 サッカー観戦が趣味ですね。中学生のときにはサッカー部に入っていましたし、以前から好きだったのですが、銚子市立病院に勤務しているときに鹿島アントラーズの試合を観に行くようになったんです。銚子時代も週に1回は東京に帰ってきていましたので、その距離の往復は苦ではなく、今も頻繁に出かけています(笑)。特定の選手を応援しているわけではなく、チーム全体が好きですね。鹿島ファンは熱いですよ(笑)。


タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

中村クリニック
  院長 中村 正彦
  住所 〒106-0032
東京都港区六本木4-11-13
ランディック六本木ビル2階
  医療設備 内視鏡、腹部超音波、レントゲン、心電図、消毒機械
  スタッフ 3人(院長、非常勤受付2人)
  物件形態 ビル診
  延べ床面積 約40坪
  敷地面積 約40坪
  開業資金 500万円
  外来患者/日の変遷 開業当初 15名 → 3カ月後 15名 → 6カ月後 20名 → 現在30名
  URL http://www.nukadakai.com/

2012.05.01 掲載 (C)LinkStaff

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